見栄を張る人、お金に目がくらむ人、人の言葉をそのまま信じる人。
聞いてる側は笑う。
「なんでそんな簡単に信じるねん。」と。
でも、笑ってる私らも、現実では同じようなことを繰り返している。
哲学者は、人間を「理性的な存在」と語った。
一方で落語は、「そんな立派なもんちゃうで」と笑う。
欲もある。
嫉妬もする。
見栄も張る。
信じたいように信じてしまう。
それが人間やと。
だから、人を信用することが難しいのは当然なんや。
相手が悪いからでも、自分が弱いからでもない。
人という存在そのものが、矛盾を抱えて生きているからや。
落語の主人公は失敗する。
騙される。
恥をかく。
それでも物語は終わる頃には、どこか笑えてしまう。
人生も案外そうなんかもしれへん。
一度裏切られたからといって、人を信用することをやめたら、人間らしさまで手放してしまう。
哲学は「人間は不完全である」と教える。
落語は「せやから、おもろいんや」と笑う。
私は、そのどちらも正しいと思う。
信用とは、相手が完璧やから生まれるものではない。
不完全な人間同士が、それでも同じ世界で生きようとする覚悟なんやと思う。
人は騙される。
期待も裏切られる。
それでも、また誰かを信じてしまう。
その繰り返しこそが、人間という生き物の愛おしさなんかもしれへん。
実は、立川談志も「落語とは人間の業の肯定である」という趣旨のことをよく語ってたんよ。
この考え方って、フリードリヒ・ニーチェやアルベール・カミュの「人間は矛盾を抱えながら生きる存在」という思想とも、どこか響き合ってる。